マックスラインのこれまでの歩み
軽トラックで営業に回る日々
「何となく流れで独立した……」
そんな表現がぴったりくる感じで経営者になる事を目標に頑張っていたわけではありませんでした。
ただ、営業にしか取り柄の無い自分が50歳を過ぎても第一線で活躍しているとは思えませんでしたし、定年で余暇をのんびり暮らす。
そんな自分は全く想像できませんでしたので、いずれは経営者になるという選択しかなかったのでしょう。
そんな自分は全く想像できませんでしたので、いずれは経営者になるという選択しかなかったのでしょう。
独立したての頃、とにかく抑えられる経費は全て抑えよう。
それだけは徹底していましたね。
事務所は当時母親が一人で暮らしていた実家の2階。家賃はゼロ円。
「貸してね。」
の一言だけで押しかけました。
営業車は主に軽トラック。
和歌山の田舎道を走るにはとても都合が良かったのです。
たまに、驚くお客さんも居ましたが当たり前のように皆さん受け入れてくれました。
別に欲しいものがある訳でもない。
自分の思い通りに広報関係の仕事をしたかった。
別に欲しいものがある訳でもない。
自分の思い通りに広報関係の仕事をしたかった。
ただ、それだけだったと思います。